『同窓生便り』第19号 52回生 佐藤知明 「My last flight」

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私は甲南幼稚園と甲南小学校でお世話になりました。
我家は元々両親共に関東出身で戸籍は横浜市中区本牧元町111番地で、祖父は戦時中、車を石炭自動車などに改造をする技術者で祖母は日本女子医大の佐藤やい(医大創立に貢献)、母方の祖父は成富信男(日弁連会長、International Bar Association終身理事、1972年勲一等授与)とバリバリの弁護士で、たまたま父の仕事(三井倉庫)で神戸市で生活する事になり、私も高校で桐朋学園女子高等学校音楽科(男女共学)に進学するまでは神戸市で生活しておりました。
フルート専攻で林りり子の門下生だったのですが師が突然他界しその後国内とヨーロッパで師匠探して17歳の時にオーストリアの国立音大入学したものの挫折して帰国後、弁護士か医師をとも考えたのですが幼少よりの夢がパイロットへの道が捨て切れずに米国マイアミのBurnsie-Ott Aviationに日本航空企画より留学、事業用操縦士の卒業時1979年に本校教官のお誘いで教官(Certificated Flight Instructor)資格を取得後1980年2月よりプロとして航空人生を歩み始める事になった分けです。

就職と言うのは巡り合いと良く似ている物だと納得していて、日本の航空会社に就職したくても、此方が探している時にはダメで、探していない時にはお誘いが来る、皮肉な物です。
教官を4年半程して当校のChief Flight Instructor(訓練部長)を経て1985年コミューターの機長及びデータプロセシングマネージャーとして二つの草鞋を履いてSouthern Jersey Airways (dba Allegheny Commuter) に入社DHC-6とDHC-7に乗務して Atlantic City, Philadelphia, New York, DCなどの路線で乗務。
1987年にPanAmに入社、最終面接で「何故PanAmで日本の航空会社では無くPanAmなの」かとの質問に映画2001年宇宙の旅を観て感動し(シャトルを未来のPanAmが運行)のパイロットになりたいと説明して無事入社。
1年でATR42の機長に昇格。しかし、PanAm倒産しTWAも倒産して1997年2月にABX Air(元々はエアボーンエクスプレス)に入社。
昨年9月末に定年退職する迄総飛行時間27,162時間;機長16,374時間;B767 11,470時間。

定年退職は2ヶ月と10日で失敗して、現在古巣のABXでB767の教官とし老骨に鞭の毎日、続くであります。 https://youtu.be/UXpMjrg393o でラストフライトがご覧になれます。

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