「開東閣」の思い出

(伊藤 文子 43回生)

 新しい東京の玄関口、新幹線「品川」駅より徒歩10分の好立地に三菱グループの迎賓館「開東閣」がある。はるか明治22年、三菱財閥の祖岩崎家の別邸として購入され、その後親睦用として活用され現在に至っている。
 10月2日(土)快晴に恵まれ、参集したメンバーは緑に囲まれどこまでも続く石塀の長さにまず驚かされる。私達を迎える為だけに開かれた扉を入るとアプローチは緩やかなスロープを描きながら邸内に導き入れられ、木々の間にコンドル設計、エリザベス朝形式の建物を右手に見ながら歩いていくと、突然平らなジャリ敷きの広場が見え、重厚な建物の正面玄関車寄せが表われる。まるで古き良き英国の映画の場面に入り込んだようだ。
 庭園を眺めることの出来る2間続きの2階の部屋に入ってくる各人の頬は、興奮の為やや上気している。広く静かな邸内は、この日私達だけで使える贅沢な空間となり、たちまち自分達だけが共有する独特の世界となった。仲が良く度々会っているので久し振りという訳ではないことが、益々子供時代毎日顔を合わせていたような気持ちを呼び戻させたのか、いつにも増して皆饒舌になった。
 何でもない事を言い合っては笑いこけ、爆笑に次ぐ爆笑、とても定年間近の男女とは思えない。中には嬉しさの余り、手がつけられない程となり一時的ではあるが退化され、皆の笑いを誘った方もあった。
 私達が特別幼いのか、童心に張り付いたまま年齢を積み重ねたのか、突然童心にリセットされたのか、いや人生の様々な試練を各人なりに体験し、消化し、そして、今日を迎えた事を暗黙の内に皆了解している。失った友の顔や、漠とした死への不安も内在しているが、早世した友人達は今や特別な存在ではなく、やがて自分達もそうなる事を受容できる心境の変化が生じているのは年齢の為だろうか。クラス会を頻繁にしたいという気持ちは、死と無縁であった子供時代や、温かい親の保護の元で過ごした幸せな日々への回帰の思いが一層かりたてるのだろう。皆、心の底から喜びがあふれているのが分かる。前回のクラス会からまだ3ヶ月しか経っていないのに、今日の会、そして次はいつと計画が練られる。早、還暦の年に行うはずの第2の修学旅行も待ち遠しく、前倒しの案が決定される有様である。すべて、この会場の素晴らしい設定が後押ししている。
 菊正宗様差し入れの極上の日本酒「嘉宝」のまったりとした味を楽しみながら、松花堂弁当に舌鼓を打った。食後庭を散策し、芝生は歩いて良いとの事で一同喜び中に入り写真を撮る。見渡す限り緑の芝生が広がる。広い敷地の英国庭園の一部が、第一京浜道路に削られシンメトリーが崩れたとしても尚充分美しさを持って余りある。見事な藤棚の藤の花が咲く5月やバラ園のバラが次々と開く6月は甘い香りであふれ、この館のベストシーズンであろう。その合間に樹齢何年かと思わせる松の木や桜の老木もあり、日本情緒を漂わせている。こっそり形の良い松ぼっくりをしのばせて見せてくれた友の表情は子供時代のいたずらっ子そのものであった。餌づけられたカラスが石階段手すり最後尾に不動に鎮座している。彫刻か生き物か確かめようと近づいた時、「かぁ〜」と鳴きながら飛んでいったので彫刻ではないことが判明した。又、美しい建物をバックに記念撮影。ホテルの方は子供のような私達の我儘にどこまでも付き合って下さる。まるでやさしい小学校の先生のようだ。散策後、デミタスカップでのコーヒーは2階のベランダで風にふかれながら気持ち良く頂く趣向であった。早、退出しないといけない時間となり、美しい開東閣に心を残しつつ帰路についた。
 帰り際案内された厩は、手入れの行き届いた広い庭園や重厚な邸内に比べ、今は忘れられたようになっている。しかし、私にはかつてこの館の馬や客人の馬で賑わったであろう、細長く趣のある馬屋が岩崎家の威光を一番良く表し伝えているように思え、立ち去り難かった。今で言えば高級車ならぬ名馬が何頭も多く集められ、主や客の到着出発に合わせ、慌しく準備したり又休息させたりと、邸内で一番動きと活気のある場所であったに違いない。馬の嘶きや独特の匂いまで漂ってきそうだが、今は当時の面影はなく、ひっそりと静まりかえっている。戦前の、日本の指導者層の経済的な豊かさと、精神的な豊かさは現代と比べようもない。そういった個人は今はいない。法人という名の大企業がその代わりを担っているのか。
 私の口から「日の名残り The Remains of the Day」という映画の題名がついて出た。日系英人の作家カズオ・イシグロの作品で、今はアメリカ人に買い取られている英国貴族の館を舞台にした話だ。時代は変わり、館の主が変わる所は共通している。
 二次会のラ・フォーレ御殿山でも幸運なことに私達は又貸切席の個室へ案内された。勘の良い店の人が私達の興奮さめやらぬ様子を感じ取り、隔離席へと誘導されたのかも知れない。早速写したばかりのデジカメの寸評会が開かれ、コーヒーを飲んだベランダは南イタリアの修道院跡の回廊に早変わりし、エリザベス朝建物の前の写真は英国にて、(スコットランドかウェールズでも可)となり車寄せ前獅子前の写真はシンガポール泊と、好き勝手を言いあい想像力を駆使し、安上がりの世界旅行をした気分であった。中にはいつの間に腕を上げられたのか、素晴らしいアングルを計算し激写された芸術家肌の方もおられ、皆の賞讃と羨望をかっていた。
 最後の極めつけは校章と出席者の名前を書いたミニうちわをかざし、"内輪の会"と称して写真を撮ったことであった。どこまでもお騒がせな私達であったが、快く接待して下さった開東閣の方々の寛大な心にお礼申し上げたい。又、この素晴らしい一日は嘉納孝太郎氏(三菱地所)の心づくしのプランによることに改めて感謝したい。(写真提供 池浦隆一氏、静泰子さん)