感 慨 無 量
重し夢の様です、彼の瞬間を誰が予想し得られませう。二旬余も降り接いた雨は七月五日の朝になつて一層激しく盆を覆す様でありました。私は午前七時住吉神社社前で出征軍人を見送って学校に帰り、住吉川の水流を気遣ひ度々出て川を見護りましたが、昭和十年の水よりも水位が遥かに低いので、安心して午前八時授業を開始しました。しかし九時頃何となく胸騒ぎが致しますので、断然授業の中止を命じ、児童を講堂に集めて途中の注意を訓示し、職員諸君に夫々分担を願ひ児童を帰宅せしめました。唯交通機関による通学のものを如何にすべきかと協議中の瞬間、濁水がこの兄童の集合してゐる講堂に襲ひ来ました。「早く早く、渡廊下を幼稚園の階上へ上れ。」と急がせましたが、多数の者は渡り得ずして、廊下の柱を命と頼み取鎚るのみ。刻々に増す水量に「頑張れ、離すな。」と声を限りに叫ぶ。其の中に「助けて助けて。」と泣叫ぶ。何といふ悲惨事でありませう。漸く職員諸君、應援巡査、青年団員各位の必死の努力によって、鉄鋼の藤柵を力に救命されました。最後には廊下の屋根を破って大部分の者は助かりました。
私も子供と共にすがって居りましたが、激流に流され、ふとした流れに乗って講堂に流込んで不思議の一命を拾いました。しかし四名の子供一名の附添が犠牲となりましたことは誠に千載の恨事であります。御両親の御心中を察しては申す言葉もなく、此の時程私の一生を通じての苦しみはありませぬでした。寧ろ死んで居ればよかつたとさへも思ふ悲痛の心持で、茫然自失の姿でありました。
学園としても三十年に近い苦心経営が一朝にして全滅したのです。想へば感慨無量であります。寸余の苗木から育て上げた緑の松、あの爛漫たる春の櫻花、一切が壊滅したのです。職員室にあつた書類その他の器具、一物も残らず流失、多年の研究物もすべて失ひました。嗚呼々々学園は全く廃滅と長歎息するのみでありました。しかし私が萬死に一生を授かりましたこと、天の使命でもありませう。此の余生を捧げて各位の御援助を願ひ、学園の復興に努力致しますことこそ、私の責任であると悟りまして、心機一転日夜精進して居ります。幸に天祐と各位の御協援により前にも優る学園が生まれ、育英の前途に光明が加はりますならばと只管念願して居ります。(堤 恒也)
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