『同窓生便り』第18号 79回生 渡邊 英子 「新」校舎への想い

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<竣工当時の校舎>

「僕たちの甲南小学校は、六甲山の麓、住吉川のほとりにあります。80年以上の歴史のある学校ですが、今年は校舎が新築され、毎日、真新しい教室で気持ちよく勉強しています。今日、僕たちが歌います曲は、まず、新しい校舎の完成を記念して作られた歌…」

♪甲南の丘に かけのぼろう…♪

5年生の時、兵庫県私学連合音楽会に出演したときの映像を偶然見つけました。私たち79回生は、当時、1994年に竣工したばかりだった「新」校舎の歌を歌いました。

私たちが入学したとき、1年生の教室はゆったりとした雰囲気で、今の甲南幼稚園の場所にありました。お世話をしてくださった6年生のお姉さんの教室は今の校舎と同じ南側の旧校舎でした。どっしりとした旧校舎の少し暗くて古めかしい理科室や天井の高い保健室を覚えています。その後、私たちはプールの上に建てられた、いわゆるプレハブの仮校舎の教室で何年か過ごしました。

そして、とうとう竣工した新校舎はまるで夢のようでした。日当たりの良い南向きの教室、何もかもまっさらでピカピカでした。5年生になった私は、一番上の階の廊下から眺める山の景色が大好きでした。春には山桜が点々と彩り、初夏には新緑、夏には濃い緑、秋になると紅葉、冬には寒々とした稜線に送電線が連なる様子、四季折々の山の姿に心癒されました。

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<震災直後の様子>

1995年の大震災のとき、学校は避難所になりました。避難されている方の車が校庭いっぱいにありました。それでも学校が再開したことが嬉しくて、学校に通ったことを覚えています。あの頃の私にとって、子どもらしい悩み事のほうがずっと深刻でした。失敗や壁の連続でした。そんなときも、先生方は程よい距離感で見ていて下さって、79回生の仲間はいつも一緒に成長していたと思います。

私は甲南女子高校を卒業後、上智大学に進学、外資系金融機関に10年間勤務し、市場と共に慌ただしい日々を過ごしました。娘の幼稚園入園を機に退職し、現在は会計や金融分野の翻訳等をしています。これまでの人生ずっと、楽しい英語のクラスの思い出、お互いを認め合うこと、遊びと仕事のメリハリなど、甲南小学校での学びに支えられています。

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<大発会の日は和服で勤務したことも>

数年前、同窓会で久しぶりに学び舎に帰りました。建物に入ると一気に昔の自分に戻ってしまうから不思議です。先生方が私たちのことを覚えていて笑顔で迎えて下さいました。もう新しくない私たちの「新」校舎は何もかも受け止めて、乗り越えて、ずいぶん立派になったように見えました。