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『ねじ曲げられた桜』の大貫恵美子さんに聞く
身近な美意識、国家が利用
情に訴える象徹に抵抗感薄く
(朝日新聞 2003年6月12日)

 古くから日本人にとって身近な楼。その楼を国家が利用して「祖国や天皇のために散る」ことを求めた時代があった。象徴人類学者で米国ウィスコンシン大学教授の大貫恵美子さんの『ねじ蹄げられた楼−美意識と軍国主義』 (岩波書店)は、自然や美意識が国家ナショナリズムにとりこまれたときの危険性を分析した労作である。
 先日、一時帰国した大貫さんは「最初は花見にも階級性が表現されているところに関心を持つたのですが、そのうち、軍国主義や特攻隊とのかかわりが見えてきました」と説明する。
 象徴や儀礼の力は、「誤認」(メコネサンス)に由来するという人類学の理論を中心において分析した。社会で個人や集団が、ひとつの象徴や儀礼から互いに別の意味を引き出しながらコミュニケーションしている状態をさす。「とりわけ多義的な意味をもつ桜の解釈のズレが、軍国主義の美化に使われた」

伝統を近代化に活用

古代において楼の花はコメとともに共同体にとって大事な生産力を象徴していた。生殖とも結びつき、柁見には宗教的な側面もあった。平安末期のころから、散る花に死や無常のイメージが重なってきた。能や歌舞伎では、既存の規範からはみだしに狂気や異世界も象徴した。生と死をはじめ、相反する意味をいくつももった、複雑な花だ。
 「けれども、あまりに日常生活に浸透しているために、意味が変化しても人々は意識しなかった」
 明治政府は、急激な近代化と伝統の継続性を重ねるために、桜を活用した。農家の若者を徴兵した軍隊では、帝国海軍の記いかり葦は錨と桜、帝国陸軍は昼と桜を組み合わせた。やがて、菊や桐は天皇、旭日は国家、桜の花とつぼみは兵士と対応するようになった。「散る楼」は戦死を意味するようになり、靖国神社には桜が植えられた。
 「貴様と俺とは同期の楼・・・みごと散りましょ国のため」という「同期の楼」は、海軍で42年から歌われた。太平洋戦争の末期、44年10月から実行された特攻作戦を考案した大西滝治郎海軍中将は、神風特攻隊の最初の9部隊に、楼にちなんだ名前をつけた。
 為政者だけではない。国際的に活躍した新渡戸稲造も、『武士道』で大和魂を桜花になぞらえた。小学校一年生の国語教科書で「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」と使われた。軍国主義の台東に抵抗したはずの人々でも、情緒的な象徴に弱かった。それが時勢への妥協につながったのではないかと大貫さんは分析する。
 
劇的な社会変化隠す

 桜にたとえられた側の内面を知りたいと、遺族らが遺稿集をまとめた5人の学徒兵の手記や日記に注目した。4人が特攻隊員で、マルクス主義者やキリスト教膚者もいた。「教養もあり進歩的な学徒にも、散る楼としての意識は浸透していました」
 特攻隊を志願するように周囲から追い込まれた学徒兵もいた。特攻隊貞だから、天皇を中心とした「天皇即国家」への犠牲を覚悟していたとはいえない。
 「明治維新以降の劇的な社会変化が、桜によって隠された。実態識などの感情は人間を動かすのに強く働くが、半分は無意識だから抵抗しにくい。行動では国家イデオロギーを再生産しながら、思考では気づかない。美化されると、問題が直視しにくくなるのです」
 興味深いことに敗戦後も楼の象徴性は続く。46年に東大総長の南原繋は戦没学生追悼演説で「桜花咲きのさかり」に亡くなったと惜しんだ。新生日本のシンボルとして桜の苗が外国に寄贈もされた。「桜自体が悪いわけではない。利用されないようにするには、自分たちで現代の意味づけをすればいいのです」


「特攻隊員の日記の紹介に感動しに医学者が、アメリカが同じ状況 になったら自分だって同じ運命をたどっただろうという感想をくれ ました」と語る
大貫恵美子さん=東京・六本木で

<プロフィール>

 神戸生まれ。津田塾大を卒業後、米国に留学して象徴人類学を知った。餅年に博士号をウィスコンシン大学で取得。『日本文化と獲』(平凡社)や『コメの人類学』(岩波書店)などの研究が認められた。
 昨年10月、先に刊行した英語版では構成を変えて特攻隊貝の紹介に重点をおいた。
 「米国では『カミカゼ』というと、無教養な狂信主義者、理解不可能な日本人というとらえかたが強い。それが原爆の使用にもつながった。日記類や読書リストをあげることで多様な考え方の人間であったと伝えたかった」
 もっと日記を詳しくという要望も寄せられ、イタリアなどでも翻訳されることになった。
 「日本の桜にあたる象徴は、他国でいえば、英国ではバラの花。米国では全州に共通する自然がないので、星条旗がそれにあたると思います」。ナショナリズムと結びついて、人々を駆り立てる象徴の恐ろしさ。それを自覚してほしいという願いが底にひそんでいる。
(編集委員・由里幸子)

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